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2011.03.01 Tue

ジェーン・ラッセルが亡くなったそうです。享年89、ちょうど母親の世代です。ジェーン・ラッセルといえば、マリリン・モンローと組んだ「紳士は金髪がお好き」が代表作でしょうが、マリリン・モンローのかわいい女とは違って、かっこいい外人女性の典型でした。背が高く、足も長く、いかにも外人な風貌で、姉御肌の立ち居振る舞いなど女王様の威厳がありました。ハリウッドのセックスシンボルとは言っても、ご本人はかなり身持ちが堅かったようで、40歳過ぎにはさっさと映画界から足を洗っていました。それにしても、往年の銀幕のスターの大半は鬼籍にはいってしまいました。ジェームス・ディーンですら生きていれば80歳ですから、仕方がないといえばそれまでです。贔屓にしていたポール・ニューマンも2008年9月に83歳で没しています。ヘンリー・フォンダも、キャサリン・ヘップバーンも、オードリー・ヘップバーンも、ハンフリー・ボガートも。私が洋画を自発的に観だしたのは高校生になってからでしたから、その頃既に名画座でしか、彼ら彼女らの若き日の姿を観ることが出来なかったのがほとんんどです。大学時代は映画漬けでしたが、フランス映画やイタリア映画、アメリカンニューシネマが全盛で、ハリウッドはやや影が薄くなっていました。それでも、名作と言われるような映画は、名画座をはしごして観ていました。そう言えば、我が青春時代の憧れの的だったジャン=ポール・ベルモンドは、77歳の爺さんになっていました。喜寿ですか、慶祝の至りです。

「バブル崩壊の時期を1991年ごろと仮定すると、今年はすでにバブル崩壊から20年にあたります。つまり『失われた“10年”』は、いつの間にか『失われた“20年”』になっています。朝日・読売・毎日・産経の4紙において『失われた20年』という表現が見出しもしくは記事本文に登場する記事数は、2011年だけで117件も存在します(日経ビジネスON LINE)」ってことは、私の40代~50代はずっと失われた年代だったってことです。確かに、この20年は、多少の浮き沈みはあったものの、総じて逆境にありました。それでも、何とか今日までこの業界で生き残ってこれただけでも、もっけの幸いとしなければいけないでしょう。さらに、「失われた20年がどんな期間だったのかを分析しました。その様子を簡単にまとめると、災害対策の分野では『苦い経験とともに災害知識を学んだ20年』、農業の分野では『輸入自由化に関連する議論が進展しなかった20年』、国際情勢の分野では『パワーバランスの多極化が進んだ20年』、国内スポーツの分野では『地域密着化が進んだ20年』となります」とありました。なかなかうまくまとまっています。しかし、我々の業界にとって、最も世の中が変わった感があったのは、1995年頃からのパソコンの急激な普及とそれによる紙媒体の減少、インターネットの隆盛と続くこの15年でしょう。

弥生3月は小糠雨で始まりました。コートがなくても震え上がるほどではありませんが、暖かくもありません。鈍色の空から絹糸のような細かい雨が落ちてきます。梅田の駅から会社まで歩くことが多いのですが、それほど気になるような降り方でなかったので、今日も雨の中を歩きました。まだまだ街路樹は冬枯れの裸木のままですが、枝先にはぷっくりとふくれた芽が出来ています。これから4月にかけて一雨ごとに大きくなっていくことでしょう。南森町の交差点の所に植えられた梅の木は満開でした。街路樹に梅の木というのも珍しいですが、ここは天神祭で有名な大阪天満宮のお膝元なので、植えられたのでしょう。昨夜深夜になって来年度予算案が衆議院を通過しました。何とか年度内成立には漕ぎ着けたのですが、予算関連法案の方は成立の見込みが立っていないそうです。特に「子ども手当」と「「特例公債法案」「所得税法改正案」の3つの関連法案が暗礁に乗り上げているようですが、これって、どういうことなんでしょう?これらの法案が否決されると、子ども手当はかつての児童手当に戻ってしまい、子育て家庭の受取額が少なくなるのですが、もともと子ども手当は、ばらまき政策だとの批判が多かったのですから、いっそ現金支給は止めて、与野党協力して別の形での子育て支援策に衣替えすれば、国民にとっても喜ばしい結果になるでしょう。って、かなり他人事の感想ですが・・・。