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Month: 2009 August

2009.08.28 Fri

いよいよこの日曜日は衆議院議員総選挙です。「朝日新聞社が衆院選の中盤情勢調査と併せて実施した世論調査(22~25日)によると、『必ず投票に行く』と答えた人は81%で、前回の05年衆院選時の78%を上回った(asahi.com)」そうです。「政権交代が起きたら日本の政治が『良い方向に向かう』と思う人は25%で、『変わらない』の54%が序盤調査(56%)と同様に目立つ。『悪い方向に向かう』は8% 」だそうですが、「変わらない」54%が、目立つとわざわざ書く必要があったのでしょうか?この記事を書いた人の主観が入っていて、なんだか嫌な感じがします。それだったら、「悪い方向に向かう」と思う人は1割にも満たないとも書くべきでしょう。政権交代が起きたからって、すぐに現在の日本社会が変わるなんて誰も思っちゃいません。オバマ大統領になって、アメリカ社会が激変したかというと、決してそんなことはないのと同様に、日本社会も急には変わらないでしょう。しかし、長すぎた自民党政権の呪縛から解放されたら、中央、地方の行政組織にも変化が出てくるでしょう。官僚の意識が徐々に代わることの方に意義がある選挙だと思います。

2009.08.26 Wed

「この公職選挙法、しかし、思わぬ副産物を生んだようだ。自分の党の主張をせず、他党を下卑た表現で揶揄する活動である」NIKKEI ONLINEのコンテンツのひとつ、シリーズ「政界ガラガラポン」での吉田鈴香さんの言葉です。私もそう思いました。WEBをネガティブキャンペーンに利用するのは、巨大掲示板サイトに跋扈する匿名野次馬と変わりません。ネガティブ・キャンペーンというのは、どちらかといえば形勢が不利な方がやるようです。アメリカの大統領選でも、ネガティブ・キャンペーンが話題なったことがありますが、ネガティブ・キャンペーンのおかげで逆転勝利した例はあるのでしょうか?マニフェストマッチングサイトというのがあるのでアクセスしてみましたが、各党のマニフェストの中で、どの政策に一番親近感を感じるか、支持できるるかを政策ごとに選んでいけて、最終的に最も多く支持した政策をマニフェストに載せている政党が、あなたの支持政党だという仕組みなんですが、ハタと思いました。マニフェストって、政権交代が可能な2大政党間しか意味がないんじゃないでしょうか?国会議員数が5人とか10人の小数党の場合、マニフェストにいくら立派なことが書かれていても、実現する可能性は限りなく小さくなります。連立政権に入ったら少しは実現できるとも言えますが、ひとつの党で安定多数を確保すれば、たとえ連立政権に入っていても少数党の影響力はたいしたことがないでしょう。結局、マニフェスト選挙はイギリスのような2大政党制が定着している国の選挙手法なんだと思います。フランスやドイツは連立政権が普通だから、マニフェスト選挙なんてやってないんじゃないのかな?

NIKKEI ONLINEの記事からもう一つ紹介したい。フェルディナント・ヤマグチの「走りながら考える」で、電気自動車が普及するためには、インフラ整備の問題があるのじゃないかとの質問に対して、慶応大学の清水浩教授の答えです。ちょっと引用が長いのですが、「インフラね。皆さんそう言います。インフラについても言いたいことが山ほどある。そもそもインフラが整ってから普及した技術なんて無いんです。」「あくまでも人が望む良い製品であれば、です。だから何と言っても最初に良い製品を作ることが大切です。そうすればインフラは間違いなく後から着いてくる。特に電気自動車のインフラなんて簡単ですよ。だってコンセントさえあればいいんですから。」「石油を焚いて発電して、送電をして、充電をして、モーターを回して、電気自動車を走らせるとすると、元の石油から見て一体どのぐらいの効率で走れると思いますか? 答えは約35%。発電ロス、送電ロス、と積み重ねて行くと。それくらいになる。ところが普通のクルマでガソリン使って走ると、そのエネルギー効率は、まあ良いところ8%台。つまり4倍もの損をしている。」まさに目から鱗です。で、石油に代わるエネルギーの供給方法については「本命はやはり太陽電池です。風力も波力も結局大元のエネルギーは太陽エネルギーです。太陽光電池は悪くてもエネルギー変換効率が約10%。バイオはというと、植物が太陽のエネルギーを吸ってエネルギーに変換する能力なんて、せいぜい太陽電池の100分の1。そこからメタノールを作って電気を取ろうとしたら、またその10分の1。つまり同じエネルギーを得るために、面積が1000倍も必要なんですよ、バイオは。」なんだそうです。さらに、「ただこれだけは言えます。世界中の誰でも良い。これはいいなと思える電気自動車を1本のラインで10万台造ったら、そこから7年間で車は電気に入れ替わります。」とのこと。その日が1日でも早まることを期待しています。

2009.08.25 Tue

「広告業界では消費行動を分析して、これまでは『AIDMA』という言葉が使われてきた。(中略)それが最近は『AISAS』に変化している(週刊現代9月5日号)』というのですが、AISASは、ATTENTION+INTEREST+SEARCH+ACTION+SHAREの頭文字を並べたものです。広告に気づいて、広告されている商品なり情報に興味を持つと、もっと詳しく知るためにインターネットで検索し、購買アクションを起こした後で、買ったものについての感想や評価をネットを通じて情報共有する、ということらしいです。確かに、最近の雑誌広告や新聞広告では、詳しくはWEBへと書いてURLが載っていたり、キーワードが打ち込まれた検索ウインドウにポインターが重なっていて、クリックを促すといった、WEBサイトへの誘導表現が多くなりました。紙面の制約の少ないWEBサイトなら、充分詳しい情報を載せることが可能なのですが、往々にして、紙媒体の焼き直しのような情報が多いのも事実です。WEBならではのギミックや仕掛けで、消費者の興味や関心を一層引きつけ、購買アクションにまで確実につなげられるサイトデザイン(というか、サイト企画)が、ますます重要になってくるでしょう。サイトの出来の善し悪しで、購買アクションを起こさせることが出来たり出来なかったりするのは、もはや常識です。

2009.08.20 Thu

インターネットが普及したといっても、ニュースソースは、マスコミが握っているのが現状です。ネットを検索しても事件や事故などがその後どうなったのかは、なかなか知ることが出来ません。新聞やTVも新しい事件や事故を追うことにかまけて、ほんの少し前に起きた事件や事故のその後を報道することはめったにありません。日本人は忘れっぽい国民性だと言われますが、ニュースを発信している側に、私たちを忘れっぽくさせている責任の一端があるようにも思います。新聞社は紙面に載った記事の焼き直しをサイトにのせるだけでなく、インターネットの特性であるスペースの制約のなさをもっと有効に使って、紙面に載せきれない事件や事故の続報を報道すべきでしょう。出来れば、裁判の経過なども克明にフォローしてもらいたいものです。googleなどで検索すると、過去の記事も削除されている場合が多いのは、もってのほかです。今や新聞に求められるのは速報性ではなく、詳報性だと思います。そんな事件や事故のその後をきちんと報道する新聞社のサイトが出来たら、お金を払っても閲覧したいという人、結構いると思うのですが・・・。しかし、警察や役所が発表した情報の受け売りしているだけの新聞社の取材方法では、詳しい続報や後日譚を望む方が無理なのかも・・・。

2009.08.19 Wed

以前から漠然と思っていたことなのですが、なぜ日本の児童公園の遊具はあんなにデザイン的にも色彩的にも醜悪で、しかも、教育的効果のないちゃちなものばかりなんだろうかということです。ライオンやパンダの置物(?)も、せめて実物大の大きさで、もう少し彫刻的というか写実的な造形であれば、子供たちが動物の大きさを理解する上で少しは役に立つだろうと思います。理想を言えば、滑り台などは実物のゾウのサイズにしてもらいたいものです。ゾウの額のところから鼻に沿って滑り降りられるようになっていれば、ゾウがいかにに大きな動物かよく分かるでしょう。昔、ニューヨークの自然史博物館に行った際に、ゾウの群れの剥製のド迫力に圧倒されたのを想い出しました。動物園では、本物が見られるとはいうものの、近づいたり触ったりは出来ません。近くの児童公園の遊具なら触ることも、遊ぶことも出来ます。変なタコの滑り台などさっさと撤去して、ゾウの滑り台にしてくれないかな・・・。

「インターネットで政治献金できる仕組みづくりが広がっている。ネット献金は米国のオバマ大統領が資金集めに活用して注目され、楽天がつくったサイトには国会議員ら100人以上が参加した。だが、寄付になじみが薄いためか、国内の有権者の反応はいま一つ( asahi.com)」だそうです。ネット献金の仕組みは、「楽天によると、対象となるのは、自民、民主など政党の国会議員や国政選挙の候補者。1回千円以上で、政治家1人に対する個人献金の上限(年間150万円)まで献金できる。政治家側に献金されるまで3~4カ月かかる。手数料は献金額の5.25%+105円。政治家側が負担し、この手数料が楽天とクレジット会社に入る」ようです。「仕組みの問題だけではなく、政治家への個人の献金という行為そのものが日本では根付いていないという面もある」というのも確かにそうでしょう。アメリカではドネーション(寄付)が定着しています。教会への寄付が背景にあるのでしょうが、日本の寺や神社では、お布施や賽銭を出しても、(たぶん)社会事業に使われることはほとんどなく、せいぜい寺や神社の建物の改修費や坊さんや神主さんの飲み代に回ってしまうような気がするからでしょう。献金したくなるような政治家がいないことも事実です。献金しても、有意義な使い方がされるような気がしないからではないでしょうか。