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Month: 2009 January

2009.01.30 Fri

「窶し」という漢字の読みは、「やつし」なんですが、窶れる(やつれる)も同じ漢字を使います。「窶す」には、「恋に身を窶す」という用例のように「やせるほど悩む」といった意味と、「旅の僧に身を窶す」という場合の「目立たないようにみすぼらしい身なりに変える」といった意味があります。さらにもう一つ、「窶す」には、化粧するとか、めかすとかの意味があったことを、今回の麻生首相のKY問題での石井一議員の質問で思い出しました。しかし、「恋に身を窶す」とか「旅の僧に身を窶す」とかは、あくまで書き言葉としての用例で、「やつす」ではなく、話し言葉としての「やつし」というのは、てっきり大阪弁だと思っていました。「エライやつしてどこ行きはんのん?」と、近所のおばさんが、隣の一家が精一杯おめかしして出かけようとするのを見かけて、冷やかすときに使う言葉といった認識でした。「普段は目立たない地味な人が、バリバリに化粧して着飾ってる」状態、あるいは「あそこの息子はやつしやから、どもならん」と、男のくせに服装だとか髪型だとかを気にしてばかりいる、他家のバカ息子を揶揄するときに使う言葉でした。麻生首相はどういう意味で「窶し」を使ったのか、ちょっと気になりました。

2009.01.29 Thu

昨日の深夜というのか今日の未明というのか、迷ってしまうのですが、日付が変わった頃から始まったサッカーのアジアカップ予選の日本対バーレーン戦が、TVで生中継されませんでした。どうも放映権料が日本のTV 局の言い値と相手(イタリアの代理店らしいです)の言い値に数倍から10倍近い開きがあったようで、契約に至らなかったようです。放映権料は、アジアカップの場合は、アジアサッカー連盟の収入になるのでしょうが、高くふっかけたことが裏目に出て、アジアサッカー連盟にとっては捕らぬ狸の皮算用になってしまった格好です。国際的なスポーツイベントの放映権料が高騰することで、試合が見られなくなるのも困ったことです。100年に1度の大不況下にあっては、様々なスポーツイベントが縮小ないし中止の憂き目に遭っているだけでなく、TV中継がないという事態もこれから増えるでしょう。スポーツビジネスの世界も構造改革が求められているのでしょうか?モータースポーツの世界では、ホンダやスバルが参戦を取りやめるというニュースが相次ぎましたが、ゴルフやテニスでは、大会スポンサーが降りると大会そのものが開催できなくなってしまいかねません。選手の高額な契約金や年俸、賞金なども、バブルだったと言われる時が来るかも知れません。TVのスポーツ中継というビジネスモデルも曲がり角に来ています。オリンピックやワールドカップなどの国際大会は、主催者側が高額な放映権料を得て、TVで全世界に中継することで、はじめて大会運営経費が捻出できるので、世界中に吹き荒れる不景気風は非常に悩ましい問題です。北京オリンピックも1年ずれていたら開催が危ぶまれていたかも知れません。来年、南アで開催されるサッカーワールドカップは大丈夫でしょうか?今回の試合は、インターネットを使って、課金制でライブ中継が配信されたのですが、定員がすぐにオーバーしてしまい、アクセスしてもエントリーすらできなかったようです。私は、Yahoo!Japanのsports naviというサイト( http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/ )でやっていた文字情報だけのライブ中継で前半戦を観戦(?)しましたが、野球と違って、サッカーの試合は目で見ないと少しも面白くありませんでした。GOALの文字だけ色つきでしたが・・・。

2009.01.28 Wed

今日はコピーライターの日だそうです。「今日は何の日~毎日が記念日~( http://www.nnh.to/ )」というサイトでは、「1956(昭和31)年、『万国著作権条約』が公布された。この条約で、著作物にCopyright(著作権)の頭文字Cを丸で囲んだ記号を附記することが定められたことから、「コピーライト」を「コピーライター」にひっかけて」とありました。一方、「宣伝会議( http://www.copywriter1111.com/ )」のサイトでは、11月11日を「コピーライターの日」としています。「人々にヒットする1行」にかけて、11/11にしたそうです。どっちでもいいですよ~。コピーライターの日だからと言って、バレンタインデーのようにコピーライターだけが得するようなイベントがあるわけでもなく、世の中のほとんどの人にとって、特段その日を意識することもないでしょう。まだしも、コーヒー牛乳の日とか、あんパンの日とかの方が、食欲を刺激するだけましかも知れません。記念日マーケティングというのが一時流行りました。『サラダ記念日』という歌集がベストセラーになった頃からでしょうか?あらゆる商品の日が設定されました。だからって、どうなんだ?と言うのが、一消費者としての感想です。記念日マーケティングで成功したのは、バレンタインデーと土用の丑の日くらいのものでしょう。近頃は自治体や官庁で、ゆるキャラを作るのが流行っているようです(もうブームは去ったかも)が、いかにもおやじギャグのようなネーミングとともに、さっさとお蔵入りにしてもらいたいと思うのは、わたしだけでしょうか?日本人は優れた美意識を持った民族と言われていますが、本当のところはどうなんでしょう?街中に溢れる稚拙な看板やけばけばしい幟、不細工な建物、どれひとつデザイン的に洗練されているとは言えません。少なくとも街の美観に関しては、日本人は鷹揚というかあまり気にしない民族のようです。漫画家の楳図かずおさんが建てた紅白ボーダー柄の自宅が、周辺の住民から美観を損ねるという理由で建築差し止め請求をされたものの、結局建てられてしまったことも、梅図さんの美意識は別にして、街の景観は住民共有の財産という認識が欠けているように思います。たまたま今日、東京地裁で撤去を求めた住民側の訴訟の判決で、「畠山稔裁判長は『景観の調和を乱すとまでは認められない』と述べ、住民側の請求を棄却(時事通信)」したようです。しかし、言わせてもらえば、京都タワーだって京都駅だって、おびただしく景観を損ねていますし、ナンじゃこりゃ?と思う建物はそこら中にあります。やっぱり、大半の日本人は美的センスに問題ありと言うことでしょう。前出の判決でも、「外壁の色に関する法的規制や住民間の取り決めもなく、実際に青、黒、薄紫など多彩な色の建物が周辺に存在する」としています。

2009.01.27 Tue

「オズの魔法使い」には、「脳のない案山子」と「心のないブリキの木こり」と「臆病なライオン」が出てきますが、これらのキャラクターが求めていたものは、「本質をとらえる知」、「他者を感じる力」、「先頭に立つ勇気」であり、この3つが備わっていて初めて、人間としてまっとうに生きられることを表していることを朝日新聞の別刷「GLOBE」の記事で小宮山宏東大総長の言葉として知りました。記事の中で、教養というのは、高等教育を受けた人間としてまっとうに生きるために、身につけなければならないものなのに、近頃は教養が「知的な見栄」になってしまっていると語られています。知の欠如、他人を思いやる想像力の欠如、勇気の欠如、私を含めて現代を生きている多くの人は、いずれも欠如しているように感じますが、中でも知の欠如は、20世紀に知が爆発して、膨大な知の前にその全体像を把握することが難しくなってしまったことが原因で、結果として、国民の教養レベルの低下を招いたとも言えます。受験教育の弊害も否めないでしょう。この前読んだ「日本語が亡びるとき」の中でも、これからの時代に叡智を求める人は、高度な二重言語者にならないといけないと語られていましたが、世界中の叡智が英語で記述され、英語が普遍語として使われる時に、日本人が英語を使いこなせないままだと、世界の知のレベルから取り残されていくと警鐘を鳴らしていました。ただ、誰もがバイリンガルになるのでなく、国を代表するであろう一部の知的エリートに、徹底したバイリンガル教育を施せというのが著者の主張のようでした。現在の日本で、知的エリートが集まっているはずの東大生でさえ、教養レベルの低下は甚だしいものがあるようです。朝日新聞の記事では、全寮制の旧制高校の教育方針と隠されたカリキュラムが、エリート養成に役立った教養教育だったと書かれています。確かに、我々の頃の大学の一般教育課程は、卒業単位を取得するために嫌々ながら受けなければならない必修科目でしかなく、誰もその科目の重要性を感じている学生はいなかったと思われます。ところが1991年以降、一般教育課程がなくなった大学がほとんどだというのも今回の記事で知りました。今の大学は4年間の限られた時間の中で専門知識を教えることに精一杯で、教養教育に割く時間的余裕がないようです。しかし、医学や電子工学などの理系に限らず、人文科学や社会科学などの文系でも、知の最先端は高く聳え立っていることでしょう。高校生から大学生になって、たった4年で現代の学問の先端の知を完璧に履修できるとも思えません。大学卒業程度の知識レベルでは、即最先端分野で活躍することは難しいかも知れませんが、地頭がよければ、オンジョブトレーニングで現場のスキルはすぐに身につきます。現在の大学に求められているのは、入学したとたんに勉強しなくなる学生をなくすこと、とにかく入学してからしっかり勉強しないと卒業できない仕組みを作ることの方が先決問題でしょう。

2009.01.26 Mon

日経平均株価が、去年の10月28日以来、約3カ月ぶりに7700円割れになりました。円相場も1ドル=88.76円と90円を割り込んでいます。英ポンドも1ポンド=120.84412円と120円に近づいてきました。1ユーロは114.79566円、1オーストラリアドルは57.85803円。2008年7月の為替レートは、1ユーロ=約166円、1オーストラリアドル=約102円でした。何とも凄まじい円高です。各国の通貨に対してこんなに円高になる理由は何なんでしょう?マネーゲームで円高が加速しているとしたら、とんでもなく迷惑な話です。円高ではなく、ドル安、ユーロ安が問題だとも言われますが、日本も未曾有の不況の波が襲ってきているのに、円が安くならないのも不思議です。以前、銀行でよく外貨預金を勧められましたが、あの頃ユーロ建ての外貨預金をしていて、今その預金を下ろしたら、預けたときの半分近くに目減りしてしまったことになります。日本の株価が下落した理由の最たるものは、外国人投資家が日本のマーケットを見限って、日本株を手放していることだとも言われています。外国人投資家が、円安の頃に手に入れていた日本株を売り、その資金を現在の為替レートでドルに交換すると、株価が下がっていても、為替差益があるので、買ったときよりドルが増えているかも知れないのです。ま、事はそれほど単純ではないでしょうが、経済のグローバリズムが引き起こした悪夢のような現実です。