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2009.11.11 Wed

読書の秋なので本の話題を。昨夜のNHKの番組で、爆笑問題の二人が国立図書館を訪ねて、現館長の元京大総長だった長尾真さんと話していましたが、そのなかで、たしか太田だったと思いますが、「プルーストの『失われた時を求めて』なんかは、とりあえず全部読んだということを言いたいがために読んだ本だ」と言ってました。こんな言い方だったかは定かではありませんが、私もそんな不純(?)な動機で読んだ本が結構ありました。特に大学時代は、小難しい現象学や構造主義なんかの本を書棚に並べて悦に入っていました。当時はフランスの現代思想が文化系学生の間でちょっとしたブームだったのです。長い小説といえば、埴谷雄高の「死霊」とか、夢野久作の「ドグラ・マグラ」、中井秀夫の「虚無への供物』なんかも、読んだと言うために是非とも読んでおかなければならない作品でした。漱石や鴎外、芥川、 荷風、谷崎、鏡花といった古典的名作はもちろん、三島、安部、大江、開高、倉橋、高橋といった作家の新作も発表後すぐに読んでおかないと喫茶店での馬鹿話について行けないのでした。その後にデビューした中上、両村上などは、こちらが社会人になっていましたから、熱心な読者ではありませんでした。長編ではありませんが、岩波文庫の小林秀雄訳の「地獄の季節」は、当時絶版になっていたのですが、京都中の古本屋を探し回って手に入れました。今にして思えば、敬愛する藤沢修平先生もその頃文壇デビューされていたのですが、ご尊名すら知りませんでした。ところで、長編作家といえば、司馬遼太郎の作品も長いものが多いですが、恥ずかしながら「竜馬がゆく」も「坂の上の雲」もまだ読んでいません。今度NHKで「坂の上の雲」のTVドラマが3年にわたって放映されるようですから、先回りして読んでみようかなと思っています。ちなみに、国会図書館の館長職には衆議院や参議院の事務総長だった人がつくのがお定まりだったようですが、長尾真さんは大学関係者が館長に就任した最初の方のようです。この人は、さすが関西系文化人らしくインテリを鼻に掛けない気さくな感じのおじさんでした。考えてみれば、玉石取り混ぜてあらゆる出版物を収集保管している国会図書館というのは、本を売ってくれない古本屋のようなものでしょうから、そこの主人が気さくな親爺さんであっても一向に不思議はありません。