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2009.04.13 Mon

「業績悪化報道に『盲従』する大学生 トヨタ就職ランキング96位のなぜ」というタイトルで、「リクルートが毎年行っている『大学生の就職志望企業ランキング』(2009年版)によると、上位には不況のなか、JRなど『社会インフラ』関連や銀行、食品系の企業が並び、『安定志向』が顕著になった形だ。逆に不況の影響をもろに受けたメーカー各社は、学生に『手のひらを返された』ように、軒並み大きく順位を落とす結果となっている(J CASTニュース)」という記事を読むと、今時の大学生の志の低さを感じます。日本の未来は彼らに任せておいて大丈夫なんでしょうか?安定志向で就職しても、自分自身が安定的に出世できる保証など、どこにもありません。アメリカンドリームのようなサクセスストーリーが誰にも可能なはずはないのですが、少なくとも、自分の能力で切り開いていける余地がある産業分野を目指すべきでしょう。民間企業であって競争に曝されていない安定企業に入るくらいなら、公務員か教師、医者にでもなった方がましです。

不法滞在が発覚して国外退去を命じられていたフィリピン人の夫婦が、中学生の娘さんを奥さんの妹に託して帰国するというニュースを各TV局が放送しています。ほとんどのTV局のニュースのトーンは、「なんとなくかわいそう」です。しかし、国の根幹に関わることですから、出入国管理法上不法滞在は絶対に許されません。その前に、何故この夫婦は娘に自国語をきちんと教えなかったのかの方が私には疑問でした。私が外国で子供を育てるとしたら、家の中では日本語を徹底して使わせます。さらに、年齢に応じて本や漫画も日本語のものを読ませます。その国の言葉は放っておいても自然と身につきます。しかし、日本語は自分たちが教えない限り、まわりから自然に耳に入ってくることはないのです。近頃では、世界中どこにいても、インターネットで日本のTV番組や映画を見られたりできるようですから、少しは外部から耳にすることも可能ですが、マザータング(母語)は親から子供に与える最高の贈り物と言えます。この夫婦が娘をバイリンガルとして育てていたら、こんな事態は起こらなかったのではないでしょうか?でも、彼女はまだ中学生なんですから、今から叔母さんにフィリピンの公用語であるフィリピノ語(マニラ地域で話されていた一地域語であったタガログ語を標準化した言語)を特訓してもらって、成人する頃にバリバリのバイリンギャルになっていればいいのではないでしょうか。卓球の福原愛ちゃんも、中国へ卓球留学したときに中国語を勉強して、結構流暢にしゃべれるようになったので、中国であんなに人気があるのでしょう。言葉はコミュニケーション・ツールとして欠かせないものですから、バイリンガルになれる環境に生まれてきたり、早い時期にその環境が手に入った人は、積極的に外国語を習得すべきです。この前読んだ「日本語が亡びるとき」でも指摘されていたのですが、21世紀は英語の世紀なので、この際フィリピンのもう一つの公用語である英語もしっかり学んだ方がいいかも知れません。

「桜の会 平成の通り抜け」で植樹された桜の木に、協力者の名前を刻んだプレートが取り付けられたという通知をもらっていたので、土曜日に自転車で見に行きました。件の場所は大阪ビジネスパークの西北端、寝屋川沿いの斜面の一画でした。桜の若木はまだ3mほどの高さで、幹の直径も10cmもないほどでしたが、それでも花を付けていました。すぐ後ろには、地上37階、高さ約157mのクリスタルタワーが聳えていました。大川沿いの公園では、あちこちで焼き肉の煙がたなびいていました。桜の木の下で春の風情を愉しむのに、焼き肉はそぐわないような気がしているのは私だけでしょうか。百歩譲って、夏の海辺のキャンプ場でなら許されるかなという気がしているのですが、桜の木の下であんなに油分を含んだ油煙をまき散らすのは、桜にとっても大迷惑でしょう。しかも、残飯や空き缶などのゴミだけでなく、肉を焼くのに使ったバーベキューグリルやテーブルセットまでそのままにして行く輩がいるそうです。世も末の気分になります。花見には花見弁当が、古来からの日本人の美意識というものです。ところで、大阪砲兵工廠の跡地を再開発した大阪ビジネスパークは、京橋という戦後の焼け跡闇市時代に原型ができた混沌の巷から川一本隔てただけなのですが、あまりにも違いすぎる近代的な街並みです。OBP内には高層ビル以外の建物はなく、道路は広く、行き交う人もしゅっとしています。そこからさらに橋を渡って大阪城の方に行くと、かつての大阪砲兵工廠の化学分析場だった煉瓦造りの建物が残っています。まさに戦争の空気を代表する建物が21世紀の街と隣り合って建っているのです。建物自体はもう使われていないらしく、かなり傷みが目立ちました。爆撃で廃墟となった砲兵工廠の跡地は、戦後20年もの間、整備されることもなく放置されていました。私が子供の頃は、省線(今の環状線)の車窓から見えるのは、赤茶けた鉄骨の残骸と雑草の茫漠の世界でした。その荒涼とした景色は、子供心にも何か見てはいけないものを見ているような気持ちになったものです。開高健の「日本三文オペラ」の舞台になったことでも有名ですが、高校生の時に読んだ、同じ場所を舞台にした(?)小松左京の「日本アパッチ族」の方がインパクトがありました。