LOADING

2009.03.16 Mon

「ありがとう」も、「さようなら」も、もとの意味を知ると、なかなか奥深いものがあります。「ありがとう」が「有り難き幸せ」から来ているのは、字面からも何となく分かりますが、「有り難い」は「滅多にない」という意味で、「滅多にない幸せをいただいて感謝する」から「ありがとう」が生まれたとすると、昔の日本人は、他人に善行を施すことが滅多になかったから、施された方がなんとしても感謝の意を伝えたくなったのでしょうか?「恐悦至極に存じます」というのも「かたじけない」も「ありがとう」の別の言い回しでしょうが、「ありがとう」が定着したのは、一番語感がやさしかったからでしょう。最近「ありがとう」の代わりに「すみません」という人がいますが、「すみません」は「申し訳ない」と同じで、謝るときの挨拶だと思います。わたしとしては「すみません」と言われても感謝されてる気にはなりません。しかし、「すみません」が「一言お礼を言わせていただかないと、わたしの気持ちが済みません」を縮めたものだとしたら、感謝されてることになるのかな。でも、そんなに感謝されるほどのことをしたと思えないことがほとんどですが・・・。そういえば、昔、「済む」「済まない」は商売人がお金のやりとりの時に使う言葉だから、武家では「済みません」は禁句だったと、聞いたことがあります。それと、代議士や官僚がお詫び会見をするときに、「まことに遺憾に存じます」とだけ言って、「申し訳ございません」とも「お詫び申し上げます」とも言わない場合がありますが、あれって、本人は何も謝っていないですよね。「遺憾に存じる」って言葉は、「期待したようにならず、心残りである。残念に思う」としか言ってないのですから。もうひとつの「さようなら」の方は、いかにも日本人の諦観がよく表れた言葉だと思います。「左様ならば」つまり「そういう事情であるならば、仕方がないんで、これで別れましょう」が縮まって、「さようなら」になったと言います。何となく諦めムードが漂ってきませんか?「ありがとう」も「さようなら」も、他人に対して多くを望まない、日本人のメンタリティから生まれた言葉だと思います。そう言えば、「求めよ。さらば与えられん」というのは、キリスト教の教えでしたね。