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2009.01.07 Wed

イスラエル軍のガザ侵攻で多くの一般人の犠牲者が出ているようです。宗教が背景にある対立は根が深く、長きにわたるいきさつも相俟って、速やかな撤退は望めそうにありません。ユダヤ人は第2次世界大戦のナチスによるホロコーストでは被害者だったのですが、今では、パレスチナ人にとっての加害者の側に回っています。やられたらやり返すの繰りかえしが現在の泥仕合の様相を生み出したのでしょうが、それにしても、己が信じる神のためなら人を殺しても構わないという宗教って、いったい何なんでしょう?神は人間に幸せをもたらす存在ではないのでしょうか?信仰心が希薄な私のような者にとって、イスラム原理主義の自爆テロリストたちが、我が身を犠牲にすることができるほどの信仰心を持てていること自体が信じられません。しかし、仕事のためとか、会社のためとかの理由で、企業戦士として働いてきた団塊の世代の多くの同輩も、カタチを変えた自爆テロリストだったのかも知れません。彼らにとっての神は何だったのでしょう?刻苦勉励、粉骨砕身してきた団塊の世代も次々に定年を迎え、我が身の来し方を振り返り始めています。経済的な繁栄は人間に幸せをもたらしたのか?自分が関わってきたことが、世の中に幾ばくかでも貢献したのか?それとも、すべては金儲けののための先棒担ぎでしかなかったのか?現役時代にやってきたことにある種の徒労感を覚えているのではないでしょうか?地位も、名誉も、お金も、邯鄲の夢。例えば、世界最大級の吊り橋やダム、クルマや超高層ビルづくりに関わったとしても、大量の紙やプラスチック、鉄やアルミを作り、それらを使って大量生産大量消費社会を生み出し、自然環境を壊して、結果として地球温暖化を招いたことが、果たして子々孫々に誇れる仕事だったと言えるのか?私たちが歩んできた道は、みんなで渡れば怖くない赤信号だったのでしょうか?こんなはずじゃなかった。何でこうなったのか?というのが、ほとんどの率直な想いのはずです。戦争の世紀といわれた20世紀が終わって9年目にもかかわらず,世界中で戦火やテロの絶え間がありません。そろそろ地球規模での生き残りを真剣に考える時期が来ていると思います。また、団塊の世代こそ、生き残りの方策をなんとしても捻り出す使命を帯びているとも思うのですが・・・。