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2008.12.18 Thu

このところ通勤電車で読んでいる本がなかなか面白い。「日本語が亡びるとき」という水村美苗という作家(浅学にしてご尊名を存じ上げなかった)の著作です。日本語を使って読み書きしている私たちにとって、特に書くことを仕事にしている人にとっては、必読の書らしいです。まだ2章までしか読んでいないのですが、一般的に日本語で思考し、日本人を読者として想定して、日本語で書かれたものは、日本人(ないし、日本語を読み書きできる一部の外国人)にしか読まれないだろうし、理解されないのは仕方のないことだと思っていたのですが、彼女は、英語を母語としない非英語圏の作者が、自身の母語で書いた作品を世界中の人に読んで欲しいと望んでも、それを現在の普遍語の地位を獲得した英語に翻訳できる人がいない場合、望んでもかなわないことになってしまう。しかも、英語に翻訳しやすいものだけが翻訳されがちだと主張しているようなのですが、これってどういうことなんでしょう?たまたまこの作家が子供の時に英語圏で育ちながら英語を第二の母語としなかった(12才で渡米したためにできなかった?)かわりに、大学でフランス語を学び、日本語で小説を書く作家になったという生い立ちから来る、今や世界を席巻した感のある英語を流暢にしゃべるバイリンガルに対する齟齬感というか、同胞がしゃべる英語を耳にしたときの居心地の悪さをを吐露しているだけなのかなと思ったりしましたが、読み進むうちのそうじゃない気がしてきました。理科系の場合は、論文は英語で書くことが世界共通のルールになっています。つまり、英語が著者の言う普遍語になっているからで、共通の認識のためには普遍語が欠かせないからです。そう言えば、今回のノーベル賞の授賞式で、英語のスピーチを断固拒否した先生がいましたが、日本語で思考していても物理学上の叡智を追究することは十分可能であって、誰か英語が堪能な人に頼んで論文を翻訳して貰って発表すれば問題ないでしょう。よく外交交渉の場では、政治家は重要な発言をする場合には、必ず自国語を使って話し、専門の通訳が相手国の言葉に翻訳すると言います。ちょっとしたニュアンスの違いが、外交上の損益に大きく関わるからでしょう。この場合は、1国対1国のコミュニケーションですが、1国対多国の場合は、やはり英語が共通語になるようです。特に、理科系の場合は、言葉の厳密な意味での同義性が必須になります。そのため、専門用語の翻訳に関しては、その言葉の意味するところが過不足なく置き変えられることが肝心です。かつての明治の日本人は、西洋の思想や科学用語を日本語に置き換えるに際して、かなり上手だったようですが、近頃はどうでしょう?IT用語はほとんど英語そのままか、英語の頭文字を集めた意味不明な略語ばかりで、こなれた日本語になっている専門用語はほとんどない有様です。著者がしきりに使う普遍語は、今では日常の話し言葉としては使われなくなった言語、ラテン語のように書き言葉としてだけ残っている言語のことだというのなら、理解しやすいのですが、英語がそれだと言われても、何となくピンと来ませんでした。「普遍語」というのが大仰すぎることにも一因がありそうです。「世界共通語」とか「世界標準語」くらいの訳語だと納得しやすいのですが・・・。ま、著者は特殊と普遍の非対称性ということを語っていますから、ここは「普遍語」という言い方にせざるを得ないのでしょう。ここまでは第2章までを読んだところでの感想でした。
第3章では、「普遍語=UNIVERSAL LANGUAGE」「現地語=LOCAL LANGUAGE」「国語=NATIONAL LANGUAGE」について、もう少し詳しく語られていました。 <次回につづく>