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2008.11.27 Thu

今年の4月から10月にかけて、2つの美術館で開かれていた「寺山修司 劇場美術館」展の目録のような本を読みました。読んだというより観たといった方が正確かも知れません。寺山修司は、詩人にして劇作家、劇団主宰者、映画監督と、1960年代中頃から70年代末までの昭和中期のアングラ文化の旗手であり続けたマルチな才能の持ち主なのですが、あの時代の空気を色濃く反映した演劇のポスターや舞台写真を見ると、西洋と東洋、東京と東北、美と醜、秩序と猥雑、聖と俗がごちゃ混ぜになっていて、混沌の極みの楽園とでもいうような世界が繰り広げられていました。当時一世を風靡した「話の特集」という雑誌がありましたが、その雑誌によく採り上げられていたイラストレーターやデザイナー、写真家などが、寺山修司と一緒に仕事をしています。お約束のように裸の女の脚と胸があり、白塗りの男がおり、赤い着物や黒服、ボクサー、道化師、小人等々、観客を当惑させる舞台装置といかがわしい登場人物がてんこ盛りになっています。寺山修司がビジュアライズした世界は、ある意味で華麗な大人のお伽の国でした。詩人の美意識がバックボーンあったからでしょう。私自身は、「天井桟敷」や「赤テント」などの前衛演劇の熱心な観客ではなかったのですが、それでも観たことはあります。眼前に繰り広げられる非日常的なシーンの数々に、とまどいながらも強く惹かれるものがあったのも事実です。あくまで舞台の上だけの絵空事なんですが、生身の役者が演じているだけに、奇妙なリアリティがありました。しかし、あの頃の反体制的(?)アングラ芸術ムーブメントは、今から思うと、何となく一握りのアーティストのパフォーマンスの枠を出るものではなかったように思います。現実の世界はそれなりに確固とした存在感があり、彼岸としての虚構の世界は、あくまで川向こうの火事であり、事件であり、観客は安全な客席からそれを観る感じでした。それが21世紀になると、インターネットによって、性は隠匿されたものではなくなり、不可解な劇場型無差別テロが横行し、金融不安が世界を覆い、別の意味で無秩序な混沌の巷と化しています。私たちの足下には確固とした地面はなく、いつ事件の当事者にされてしまうか分からないのです。いやはや、昭和は遠くなりにけりと慨嘆しても詮方なしとは思うのですが・・・。